今回は、東京都にお住まいの40代自営業さんが、会社で新人の頃に、給料ドロボー係長の分の仕事もカバーし、燃え尽きて精神疾患にかかったパワハラ体験談をご紹介してみます。パワハラ軽減策として、上司に愛想よくすると若干ストレス軽減できたそうです。会社で仕事をしない人がいる分、他の人が余計に働く、というのは日本の会社でよくあることのようです。こういう状況は、真面目に働く人のモチベーションも下がり、会社の生産性も下がるので、良いことは何も無いと思います。違うか、タダ飯食ってる人には最高ですね。(笑)
上司の能力が低い
40代、今は東京都在住の自営業です。私のパワハラ体験は以下の通りです。入社1年目、社会人初の上司は、年配の女性でした。最初は簡単な仕事を指示され、私がミスをしても「大丈夫よ」とニコニコ受け合ってくれた上司。「上司は厳しいもの」と思い込んでいた私は、「優しくて良い上司だな」とホッとしたものです。
しかし、上司をよく観察していると「電話を取るとき『もしもし』としか言わず、部署名や名前を名乗らない」「長々と私用電話をする」「受けるべき他部署からの仕事を『仕事を増やさないでちょうだい』と断る」など、ぺーぺーの私から見ても疑問符がついてしまうような対応の数々。
私への指示も、明らかに間違っていることが多いことに気づき、入社1ヶ月で「この上司についていっては危険だ」と判断し、見切りをつけました。同じ部署に先輩も同僚もいなかった私は、仕事について他部署の上司に教えてもらったり、自分で勉強したりして、係長である上司を上回った知識を得るために努力を重ねました。
そのうち、他部署では、上司は仕事ができず話にならないが、私に聞けばたいていのことは解決してもらえる、と認識されるようになり、本来、上司が対応すべきはずの会議や立ち合いに、こっそり私が呼ばれるようになりました。
係長はヤル気がない
もともと一人当たりの仕事量が多い職場だったので、私は自分の担当する仕事だけで、いっぱいいっぱいだったのですが、上司が対応すべき案件のほとんどが、私のところへ舞い込んできて、問い合わせに対する回答や、会議への出席などで定時になってしまい、自分の仕事ができるのはそれから、という日々が続きました。
ひーひー言っている私を尻目に「早く帰ってよ。あなたに遅くまでいられると、私が帰りにくいわ」と言い放ち退社する上司。非常勤職員、派遣職員を私が動かしているのも気に入らなかったようで「あなたが係長やればいいじゃない」とも。「私が係長?そうね、あなたよりはよっぽどマシな仕事するわ!なれるものならなりたいわ!」と心の中で叫ぶ日々。
「いちいち他の人の案件でメールが来るのは迷惑だわ」とのびっくり発言をする上司、こっそり上司をメーリングリストから削除する私。私が他部署の人と話していただけで「あの人と話をしないでちょうだい、私あの人嫌いなのよね」と言ってくる上司。嫌いな理由は「仕事をたくさん持って来るし、こちらのごまかしがきかないから」
あのー、あなた、給料もらってるんでしょ?それは労働の対価でしょ?労働せずに対価だけ、よこせと言うあなたのような人のことを「給料泥棒」って言うんですよ、知ってました?日に日に深まる上司との溝。このままでは、こちらの身がもたない、仕事辞めたい。そんなぎりぎりの精神状態で仕事をしていた私。
愚痴を聴いてくれた先輩
そんな折、色々と相談にのってくれたり、愚痴を聴いてくれたりしてくれる他部署の先輩がいました。その先輩のおかげで、少し心に余裕が持てた私。無理にでもニッコリ笑顔を作って、明るいトーンで上司に接するよう心がけてみました。最初のうちこそ訝しげにしていた上司でしたが、徐々に当たりを和らげてきました。
仕事の方はあいかわらずで、私の負担は減りませんでしたが、余計なストレスが少し減りました。また、愚痴がたまったらすぐに他部署の先輩に聴いてもらえるような環境が整っていたので、無理なく出勤できるようになりました。
燃え尽きる
そうして2年が経ち、上司は他機関へ異動することになりました。送別会で、直属の部下である私は、上司に花束を渡して感謝の意を述べるようにと幹事から言われました。「礼を言われたいのはこっちだわ!」と思いつつ「これで最後!」と割り切り、ニッコリ笑顔でお別れすることに成功しました。
ただ、それで燃え尽きてしまったのでしょう。程なく私は精神疾患にかかり、休職、退職を余儀なくされました。今はフリーで収入を得ています。会社員だった頃の稼ぎには追い付いていませんが、人間関係のわずらわしさから解放され、ストレスの少ない日々をおくれています。嫌でたまらないけど稼げる仕事、思うように稼ぐのは難しいけど日々が楽しい仕事。私は後者を選びました。
一度きりの人生、安定していても嫌々な気持ちで過ごすなんてもったいない!