今回は、元製薬会社会社員さんが、「パワハラ課長が嫌いな奴とは口を利くなと言われたり」、「目立つんじゃないと言われたり」、「カラオケを強要されたり」したパワハラ体験談をご紹介してみます。「パワハラで会社を辞めるかは上層部の対応と給料で判断しましょう。」とのことです。かなりの大作で3千文字程もあります。感想として、理系出身者の多い業界でも、人間関係についてはロジカルに考えない人がやはり多いと感じました。私の経験でも、理系の教授、課長、部長なんかでもやたらと偉そうな人が多かった気がします。
パワハラの被害者
私は薬科大学の修士課程を修了し、川崎にある当時中堅の製薬会社に就職しました。研究開発部門に配属され、各種診断薬の開発に携わることになりました。
そこでは60歳の定年になるまで勤務し、その後会社からは雇用延長を打診されましたが、年棒の額で折り合いが着かず、知り合いの紹介で同業の別会社に移りました。その会社には3年ほど在籍し、63歳で退職した後再就職はせずに昨年65歳になりました。現在は東京都の八王子市に妻と2人で住んでいます。
私がパワハラを受けていたのは、最初に就職した製薬会社に勤務していた時です。「私は」と申しましたが、むしろ「私達」と言った方がよいでしょう。
私が配属された研究開発部門の直属の上司である課長が、パワハラを振るう問題の人物です。どのようなパワハラを振るっていたかについては、あまりに多過ぎて一言でまとめることが出来ません。後ほど、当時あった幾つかの事例を紹介します。
パワハラの加害者
先ずはその課長の人物像について分析をしておきます。とりあえずM課長と呼ぶことにします。会社でのM課長の最大の関心ごとは、会社の上層部に認められること、または気に入られることです。そしてそのためには自分の部下を犠牲にすることを何とも思っていません。むしろ当たり前だと思っているように私(私達)には思えました。
ですから、普段の行動を見ていると、部下には厳しく、無理難題を平気で吹っ掛けてきますが、会社の経営陣の前ではそれとは打って変わって腰が低く、傍でその様子を見ていると思わず笑ってしまうぐらいです。
そして、自分に対しては非常に寛大な性格です。部下が年休を申し出ると色々と難癖を着けてきますが、自分の場合は、些細なことでも体に不調などがあると直ぐに会社を休んでしまいます。ある意味臆病で、自己防衛本能が異常に高い性格です。こうした背景的な性格に加えて、自分に歯向かう部下、或いは異論を唱える部下に対しては執拗に虐め倒します。それも誰が見ても異常と感じるな、ぐらいにです。
これがM課長の会社での人間像です。家庭ではどうだったかというと、M課長は既婚者で、奥さんは中学だか高校の教師をしていたと聞いています。そして何人か息子がいました。普段の本人からの話などを参考にすれば、家庭を大切にしているようでした。良い父親であり、良い夫のようでした。
M課長によるパワハラ事例
M課長がどういう人間か、多少お分かりいただけたかと思います。このM課長が私達に加えた極悪非道の限りの中から幾つかの事例を紹介します。
事例その1「俺が嫌いな奴とは口を利くな」
M課長は1度あったことを何時までも大変に根に持つ性格で、普段から私達のような自分の影響下にある弱い立場の社員に対して、あいつには近づくなとか話をするなと言って圧力を掛けてきます。
入社間もない頃のことです。私は食堂でたまたま隣に座った他部署で初対面の人と、食事をしながら話をしていました。ところが、その話し相手が実はM課長のブラックリストに乗っている人だったため、昼休み明けに早速M課長に呼び出され、わざわざ面談室まで連れていかれ、2人っきりで1時間ぐらい嫌みを聞かされ「今度見掛けたらお前はおしまいだ!」とまで言われました。
人目のないところに連れて行き、圧力を掛けるという非常に陰惨なやり方です。
また、こんなこともありました。私の所属部署と関係の深かったある部署の課長さんが退職することになり、その部署の有志がプライベートで送別会を開きました。私の部署でも私を含めて数名が呼ばれました。嫌われ者のM課長は当然呼ばれていません。
すると、翌日、例の調子で呼び出されてしまいました。それも、1人ずつです。その時M課長が私に言った言葉は「何で俺に断りもなくそんな集まりに出たんだ!」でした。
事例その2「俺よりも目立つんじゃない!」
開発を進めていた診断薬の進捗が芳しくなく、私の課がその件で、部長をはじめ管掌取締役に説明をすることになりました。先ず私が、テーマの進捗状況と遅れの原因を説明した後に、M課長が管理責任者として総括をする手筈でした。
私の説明は比較的要を得ていたのか、一様に遅れていることへの理解が得られたのですが、その後のM課長の話で台無しになってしまいました。その内容は「遅れている原因は担当者にあり、担当者の怠慢によるものだ。私から厳しく指導する。」とのオッタマゲの発現でした。当然、この会議の後、私は呼び出され「俺よりも目立つんじゃない!」と散々でした。
事例その3「妻が病気でも参加を強要されるカラオケ」
M課長の傍若無人で理不尽な振る舞いは、尽きることを知りません。切がないのでもう1つだけ事例を紹介します。M課長は大変カラオケが好きです。私達は大っきらいです。忘年会や何かの催しがあると二次会は必ずと言っていいほどカラオケです。
当然誰も行きたくはないのですが、次の日のことを思うと皆渋々参加します。ある時私は、そんなカラオケに行きたくなくて、嘘を言って帰ろうと思い、M課長に「妻が風邪で寝込んでいるので、二次会は遠慮させて下さい。」と言うと、M課長からは「お前はそんなことだから部下が付いてこないんだ!」でした。
普通良識のある上司なら、こうは言わない筈なのですが。嘘を言った私にも問題はありますが、M課長に嘘を言ったことに関して、私は全く自己嫌悪を感じることはありませんでした。
M課長の寂しい末路
私達は普段、給料のことを慰謝料と呼んでいました。それは、M課長から被る精神的な暴力に対する会社から支払われる代償という意味合いからです。そしてM課長のことは宇宙人と呼んでいました。それは、最早M課長は地球人からは逸脱した、私達地球人とは意思の疎通を交わし得ない存在という意味合いからです。
ただし宇宙人といってもETのような可愛い存在ではなく、エイリアンの方です。そんなエイリアンから逃れる方法は当時1つしかありませんでした。それは、このエイリアンが巣食ってしまった宇宙船を脱出して他の宇宙船を目指すことです。即ち転職です。しかし、子供も出来て妻もいるその頃の私には、とってもそんな冒険は出来ませんでした。
その後も、結局何年にも渡ってM課長の理不尽なパワハラは続きました。しかし、時間というこの宇宙全体に普遍的に流れている存在には、流石にエイリアンMも勝てませんでした。我々へのパワハラは会社上層部へもそれなりに届いていたみたいで、結局M課長は理事止まりで、取締役にはなれませんでした。要するに時間切れでM課長(M理事)はラインから外れ、私達への影響力がなくなりました。
その後は、M理事に社内で擦れ違っても、私の部署のものは誰1人挨拶をしませんでした。寂しいものです。私は今でも当時の会社の知り合いに会うとよく言われます。「お前達はよく耐えた。」と。
会社でパワハラを受けている方への私からのアドバイス
私の場合、当時の生活や経済状況から、転職するということもしませんでしたが、もし、給料(慰謝料)が不十分と感じていて、尚且つ、パワハラを上層部が放置するような会社なら、そんなところはとっとと辞めて転職することをお勧めします。
私の場合は、これほどまでのパワハラを受けていたにも関わらず転職しなかったのは、比較的に慰謝料が悪くなかったからです。