今回は、50代元システムエンジニア(女)さんが、指示系統がめちゃくちゃなパワハラ上司から受けたパワハラ体験談をご紹介してみます。パワハラ解決方法としては、パワハラの記録を手書きで全て残し、パワハラ上司の更に上の上司に見てもらうのが有効だそうです。

指示系統がめちゃくちゃなパワハラ上司

50代で、現在はパート、パワハラ被害当時はシステムエンジニアをしていました。性別は女で、関東に住んでいます。

工学部を出て、システムエンジニアとして配属された先にいたのは、昭和のモーレツ社員の亡霊のような『お仕事大好き!』『家庭より仕事!』なオッサンたちでしたが、ことに一人Fという主任男性とOという課長はお互いに仲が悪く、私はその二人が回しているチームの末席に入ったのですが、指示系統がめちゃめちゃで、ひどい状態でした。

Fから言われて作った資料や作ったプログラムに対してOが全否定するとか、逆の事象があったりとか。

挙句、部署にいた他の女性が当時大ベテランのお局さんTさん一人だったところに入った結果、Tさんからも『使えない』といびられて身の置き場がなかったところに宴会ではFに胸を触られるというセクハラもコンボで、1年目にして退職を決意する寸前まで追い詰められました。

生理休暇を取ろうとすると『私達の時にはそんな制度はなかったのにねー』というのです。

その直後に氷河期がきて、後輩が入ってこなかったこともあって、辞めるにやめられず、だんだん麻痺してきたのですが、毎日イジメられるのが普通になってきて、とりあえず残業代でガンガン稼ぐことだけが楽しみになっていました。

また、数年先輩で遅刻常習、風呂にもろくに入らずクサいままで客先に行って問題になっていた男性KがFのお気に入りで、その理由がKが家庭的に不幸で、親に仕送りをしていて苦労してるとかなんとか、まさに浪花節な理由で優遇されており、その分私に対する風当たりが強かったのです。

パワハラ解決方法

ノートを一冊作りました。

可愛いデ●ズニーのキャラクターのノートに、蛍光ペンやボールペンで可愛くイラスト入りなどで、毎日あったことを帰りの電車の中や、帰宅後に5分程度、とにかく全て手書きで日記にまとめたのです。

これは、法律関係の仕事をしている友達に『実は今こんなことがあって~』と久しぶりに会った時に話をしたら、デジタルデータは編集ができてしまうので、とにかく『手書きで記録を残せ』と言われました。

しかもボールペンで。

これは今ではDVや離婚の証拠集めとしては常道らしいのですが、とにかくこまめに仕事の記録を残しとけ、と言われたのです。

出勤・退勤、行った客先、移動距離、出張の状況など。

会社の勤怠情報と同じくらいに自分の勤務状況と、それに対比するサボり魔Kのわかる範囲の遅刻状況、それからFとOの言動、周囲の反応など。

書いていると、状況を思い出してしんどくなる時もありましたが、慣れてくると『わぁ、今日も証拠がたっぷり残った!ヨシヨシ』と心が軽くなっていったのです。

そのうちに、ちゃんと仕事をしていることが認められるようになり、O課長の上にいるE部長とあれこれ話す機会が増えてきました。

彼は私の出身大学の大先輩で、担当教官だった先生とも面識があったことからよく声をかけてくれるようになったのです。

ある日、性能試験の予定が遅延したことでFにあれこれ責められて、半ギレになりました。

それは私の責任ではなく、むしろKが本来行う作業だったのですが、彼は納期に間に合いそうにないことが判っていて、こちらに振ってきていたのです。

『あ、もう駄目だ』と思ったその日の2200過ぎ、駅のホームで電車を待っていたらE部長がいました。

もうそれは偶然とは思えないタイミングでしたが。

『辞めたいです。もう無理です』というと、E部長は自販機で温かい缶コーヒーを買ってくれて『遅くなりそうだから、とりあえず5分、あとは明日時間とろう。話聞かせて』と言ってくれました。

持っていたノートをもとに、かいつまんでその様子を話すと、彼は『これ、持って行っていいかな?コピー取って明日返す』と言いました。

果たして、その証拠のノートが、私の最強の武器になったのです。

E部長は翌日朝イチでノートのコピーを取り、原本を私に返却、O課長を呼び出して会議室に籠りました。

そして、O課長も叱責されたようですが、FとKのやりようが悪質だということと、Tの言動も『もともときついタイプだけど、ここまでひどいとは思わなかった』ということで、私の異動を検討し始めた、という話が下りてきました。

『辞める』という意志を明確に示しましたが、当時新入社員が入ってこないこと、即戦力(入社3年目に差し掛かっており、それなりに成果もあげていたので)が一人いなくなるのは大きな損失である、と言われたのです。

とりあえず同じ部署でも違うチームに一時的に預けられ1か月、そちらでは『普通の勤務』ができ、無茶ぶりで残業や休日出勤が月に100時間を超えることもなく…むしろ拍子抜けするような日々が始まりました。

FとKはその評価をかなり下げ、そして私が抜けた穴は全てKが被ることになったようで、チーム全体も大変なことになっていたようですが、それは自業自得だったので誰も手伝いませんでした。

その後E部長が私のもともとの希望だった配属先に渡りをつけてくれて、推薦する形で送り出してくれたのです。

それくらいしないと、私の出身校から学生が入ってこなくなる、という意味で大きな抑止力が働いたようですね。

というわけで、私のケースでは、記録を残したことと、それまでに構築してきた人脈、何よりも自分がスキルアップしていくことで周囲に付け入るスキを与えなかったことが効果的だったようです。

パワハラ・セクハラが蔓延している閉鎖空間に長くいると感覚がマヒしてくるので、外部の窓口などに相談実績を残すのも効果的だと思います。

でも『もう駄目だ』と思う前に逃げるのも大事ですよ。

私は我慢して我慢して体が悲鳴をあげて過呼吸の発作がひどく、受診したら『あんまり我慢すると狭心症になるよ』と言われてしまいました。

その診断書も、パワハラの証拠として大きな効力を発揮したのですが。

ぼーっとしている間に、とにかくペンで、手書きで日記を書いておきましょう。

そのひと手間が、あなたを救ってくれる日がきっと来ます。